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今こそ、真の“マインドフルネス”を。

社会全体に閉塞感や不安感が漂うような時には、多くの人が「生きる意味」を問い直すことになるものらしい。そうした現象は、古今東西を問わない。人間は「なぜ、生きる」のか。それは「生きなければならないから」であろう。そのことを真に理解するのに、ここ(そわか)で学ぶ〔瞑想・マインドフルネス〕はきっと役に立つ。身体と心を落ち着けて、「今」を、そして「自分自身」を、しずかに見つめてみていただきたい。そうしてそのなかにご自身なりの「真実」を発見していただけたとすれば、それこそ拙僧にっては望外の喜びである。
そわか合掌

パフォーマンスと瞑想

瞑想がパフォーマンスアップに効くらしいと、経営者の方々(そわかのお客さんや生徒さん)からよく聞く。それにも一理はあると思う。しかし、その人が何をもって「パフォーマンス」と言っている(捉えている)のか。どのようなパフォーマンスアップを求め、それ以前に何のためにパフォーマンスを高めたいと思っているのか。そこのところを本当に理解しなくては、指導・指南のしようもあるまい。場合によっては、〔瞑想・マインドフルネス〕がパフォーマンスの邪魔になるとも限らない。私たち現代人は、どうも真偽の“見極め”が甘いところがある。長らく生産性や効率を求められる時代を生きて来た代償なのだろうか。そういう意味でも、〔瞑想・マインドフルネス〕の担いうる役割は小さくないだろう。
そわか合掌

無心のパフォーマンス

スポーツでゴールを決める瞬間などに、時間が止まったように感じたり、ゆっくりになったように感じたりすることがある。その瞬間、頭の中はとてもクリアで、ほとんど雑念がない。余計なことなど何も考えていないところに、瞬間的な判断(あるいは意思決定)とそれに基づく行動(あるいは自己表現)だけがある。自分が動き出す(プレーする)よりも前から、「ゴール」は決定されている。そこまでのプロセスも、状況判断もアイコンタクトも動き出しも味方からのクロス(パス)もコンパクトなシュートモーションも何もかも、完璧に“決められている”。それでいて、全くの“自由”であるのは不思議だ。その自由さが、実に爽やかで心地よい。快感なのである。瞑想家であれば、その爽快な体験がなにも特別なものではないと分かるだろう。“完璧に決められていて、それでいて全くの自由”というのは、無心であるからこそ生まれた認識(気づき)なのであって、常日頃から実は“そうだった”ということなのである。
そわか合掌
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